オーナーインタビュー Vol.1

花鳥風月無尽蔵にあるテーマ

中川さんは、蓼科にアトリエを持つまで、中原脩の名で現代的な美人画をはじめ著名な小説家の装丁イラストなど、ジャンルを問うことなく多種多彩な作品を手掛けてきた。日本画と洋画を融合させた独創的な技法で優美な女性像を描いた美人画は、伊勢丹の個展で完売するなど人気作品であったため、美術商や画廊から同じジャンルの絵の注文が集中していたという。

「あまりにも忙しくて、このままでは行き詰ってしまうと不安にかられました。売れている時に作品のジャンルを替えるのは冒険でしたが、思いきって美人画から日本画へ変えたのです。日本画のテーマは花鳥風月ですから、自然豊かな蓼科高原では次から次へと絵の題材に出会うことができます。」

珍しい自然現象との遭遇や森の住人たちとの触れ合い。美術商やファンの方にオオルリの話をしていると、『ぜひ、オオルリの絵を書いてください』と言われるケースもあるそうだ。

蓼科高原は未完の童話の世界

「花や木の実、キノコなど、別荘地内を散歩しているだけでも興味をそそられるものにたくさん出会います。たとえば野ブドウの実ですが、よく見るときれいなスカイブルー。ビー玉のような色なんです。」

また中川さんは、蓼科での生活を”未完の童話の世界“にいるような感覚だと語る。見たこともない自然現象、身近にやってくる野生動物、天然色の花や木の実、冬の水墨画のような森…。自然との新たな出会いに、何年経っても心がときめくそうだ。

「雪の山道を歩いていると足元の雪が崩れていき、転げ落ちた雪の結晶がAとかBとかアルファベットのビスケット型になっている不思議な夢を見たことがあります。」と、蓼科で過ごすようになって見る夢までメルヘンチックに変わったと笑う。別荘購入当初には想像もできなかった蓼科高原の不思議な魅力。二十五年経った今も興味の対象が尽きるどころか増すばかりだという。

蓼科の自然が描く、未完の童話の世界を歩いてみたくなった。

取材・文/山内 泉 写真/平山 ジロウ

画家 中川 脩 Osamu Nakagawa

■Profile

東京芸術大学で、平山郁夫や岩橋英遠から日本画を学び、'71年に大学院を修了。卒業後は、ワーナーパイオニアのアートディレクターを務めた他、新聞連載小説の挿し絵、小説の表紙絵、企業カレンダーなどを数多く手掛ける。
'80年に造本装幀コンクールで入賞、'82年以降は、新宿伊勢丹、三越、阪急、西武、東武、他全国の百貨店などを中心に個展を開催。'84年と'85年には「現代の裸婦展」で連続入選。'86年~'88年現代の裸婦展に招待出品。三越本店PR誌の表紙画を担当。'90年頃からは日本画を精力的に描いている(日本画は本名の中川脩で出品)。日本画の技法に独自のスタイルを確立し、ジャンルにとらわれず自由な発想で数々の作品を発表している。

■90年以降の経歴

1992年
三越池袋店開店30周年記念日本画展開催。
1993年
世界女子マッチプレーゴルフ選手権
1位2位3位の副賞になる
1994年
東京セントラル美術館日本画大賞展に
招待出品。
1995年~2001年
近鉄大阪店他で日本画展開催。
2003年
北海道新聞連載挿絵担当
(内田康夫「化生の海」)
東京新聞挿絵担当・中日新聞挿絵担当
2007年
個展開催(郷さくら美術館)

「富貴花」

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夕陽をバックに影絵のように浮かびあがる
森のシルエット(写真:中川さん提供)


窓ガラスのすぐ近くまでやってきたオオルリ
(写真:中川さん提供)


鹿島南蓼科ゴルフコースのクラブハウスリニューアルに合わせて描かれた100号の「爽」。
視界の広い13番・14番ホールがモチーフになっている。
階段ホールで、八ヶ岳が背景に広がる新緑のフェアウェイがゴルファーを出迎えてくれる


白樺が群生する庭で、ニホンカモシカやタヌキたちの通り道を教えてくれた中川さん。
野生動物たちが家族の一員になっている